2011年08月21日
ミュージカル + 日本帰国の旅
寒さがやや緩みましたが、冷え冷えモードは続くばかり。奄美で母が買いだめしてくれていたカイロを腰にはっての一日です。昨夜は、「カレンダーガール」のミュージカルを観にいきました。でも、映画はご存知の通り、中年の女性が裸で写真を撮る(カップケーキを持ったり、花を持ったり等ジョウズに素敵に撮影しています。)というシーンもあります。では、舞台では、どうだったのかといいますと、トップレスな場面も多々ありました。これは文化ですね。きっと。そんなことよりも、女同士の友情が快活に描かれていて心から楽しめました。
ミュージカルのあった建物があまりに見ごたえがあったので数枚撮りました。始るまで、ジントニックとビールでほろ酔い気分。
今日は、近所にある公園でピクニックランチをしました。先週の寒い気候にも関わらず、羊たちは新しい家族を次々迎えていました。今年は、邪魔すまいと遠くからそっとカメラを向けました。本当に生まれたてのようで、お母さんの後をついていくのがやっとのようです。
さて、帰国の旅、第二弾です。湯布院の風景。ここには何度も足を運んでいるのに、離れた今でもなお記憶が新しくあり続ける珍しい場所です。台風の影響もそんなに受けず、潤った緑にただ感動しました。
昔行ったおいしいパン屋さんはあるかな、そう思いながら小路を抜けていくと、ありました!NZに持って帰れるハーブティーを買って帰りました。http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/41835/CUSTOM/4183580109102502.html
お宿はここに。本当に御もてなしの行き届いた、気持ちのいい場所でした。大分は見所満載です。旅に行こうかな?っと思っている方にいつでもご紹介します☆
夕方から「3D Glee」のコンサートを映画で観に行きました。いつも会えるKauriさんと。その後、スポーツバーでサラダとピザの夕飯をつまみながらガールズトーク。来週がんばれるように力をつけたところです。今から、「3月の学習発表会、どうする?」という話題。Glee風に踊って歌う??いいかも~~。このGlee,本当にお勧めです。日本でもBSあたりで放送されているかと・・・。ファンの方、Gleeトークしましょう。
2011年08月17日
NZより 日本帰国の旅 鉄子編
「鉄子の部屋」です。ここ最近、まじめに更新です。そう、外が摂氏4度で寒いからなんです。夏は、めっきり更新が・・・。さて、気を取り直して。今日はテンションが上がりっぱなしですよ。電車の話ですからね。

友だちと大阪から湯布院に温泉旅行へいきました。はあ~旦那様には悪いけど、女二人旅って本当に楽しい。温泉話は、また後日。今日はテーマを絞っていきます。妹から文が長いとクレームがきたので、短めに。
由布号。赤色で内装はウッドデッキ。2両しかないのですがおもちゃみたいでかわいらしい。到着後に一枚。

湯布院は徹底して景観を保っています。駅はシックな黒で統一。自動販売機も黒。

帰りに撮ったものです。足湯。なめたらいけません。この温泉、本気モードです。足だけつかるのに、その効果効用たるや全身浸かった気持ちにさせてくれるのです。タオル付で160円!おしゃれなだけじゃなく、お得。

私は海外永住権保持者にも発行されるJRPASSで帰省したので、特急は無料で予約ができました。しかも・・・運転士真後ろのA1席。どうしよう、運をこんなところで使い果たしていいのやら・・・。ありがたいです。由布院の森号が駅におでましでございます。

内装は、同じくウッドデッキで金縁のライト。 緑の森を思わせるシート。大分市まで40分のみ。私は、お土産の整理もしなきゃと焦りつつも、しっかり撮影と運転士の凝視で大忙しでした。

JR九州の電車は他の地域に比べてバラエティに富んでいるといいます。この2台のソニックは6年前、日本を発つ前に新しく出たばかりでした。元気にしてた?そんな古い友だちに会う感じ。偶然写り映えのする位置に構えていたので、記念撮影。
満足です。

新幹線さくらは次回に・・・。
友だちと大阪から湯布院に温泉旅行へいきました。はあ~旦那様には悪いけど、女二人旅って本当に楽しい。温泉話は、また後日。今日はテーマを絞っていきます。妹から文が長いとクレームがきたので、短めに。
由布号。赤色で内装はウッドデッキ。2両しかないのですがおもちゃみたいでかわいらしい。到着後に一枚。
湯布院は徹底して景観を保っています。駅はシックな黒で統一。自動販売機も黒。
帰りに撮ったものです。足湯。なめたらいけません。この温泉、本気モードです。足だけつかるのに、その効果効用たるや全身浸かった気持ちにさせてくれるのです。タオル付で160円!おしゃれなだけじゃなく、お得。
私は海外永住権保持者にも発行されるJRPASSで帰省したので、特急は無料で予約ができました。しかも・・・運転士真後ろのA1席。どうしよう、運をこんなところで使い果たしていいのやら・・・。ありがたいです。由布院の森号が駅におでましでございます。
内装は、同じくウッドデッキで金縁のライト。 緑の森を思わせるシート。大分市まで40分のみ。私は、お土産の整理もしなきゃと焦りつつも、しっかり撮影と運転士の凝視で大忙しでした。
JR九州の電車は他の地域に比べてバラエティに富んでいるといいます。この2台のソニックは6年前、日本を発つ前に新しく出たばかりでした。元気にしてた?そんな古い友だちに会う感じ。偶然写り映えのする位置に構えていたので、記念撮影。
満足です。
新幹線さくらは次回に・・・。
2011年08月16日
大雪
http://youtu.be/YhcQjQQ3es0?hd=1
とても優秀!間をあけずに更新できました。今日は各地大雪なNZです。私の手もカジカンでパソコンを打つ手がゆっくりめ。
このYouTube見れますか?
さて、今回は、我が家の「食」を祖父の33回忌とともにお届けします。
何度か実家に一緒に帰った旦那は、台いっぱいに食事をのせることにネーミングまでつけています。名づけて「○○子テーブル」(母の名前)。私は若干母と顔のパーツが似ており、母がくれた服を着たり、台所で時間を長く過ごしがち。すると「○○子ファッション・○○子フード」など、必ず母の名前が前につきます。もう、否定はしません。

これは、手作り弁当。盛り付けは姉が。だからちょっと雑。でも上出来です。

これは、父が釣った鯛。であっていると思います。このテーブルは、まだ不十分。これから続続のるよという段階。鯛は表を食べた後、ひっくり返さずに、箸で首と尻尾手前を骨折させて(ちょっと生々しい。。。)にぎ(島の方言で魚の骨)を取り除きます。このジョウズな食べかた、誰も知らなかった!私も誰にならったんだろう?
美味しかったです、非常に。遠くから帰ってきた娘のためにがんばって釣ってくれた父に感謝。でも、私の口に入ったのはすう口ほど。

お寿司!日本のお寿司!本物のお寿司!どこのおすし屋さんだったけ?妹よ。たま寿司?だと思います。美味しさのあまりほっぺがおちました。お正月に帰ったことがなく、島野菜が食べたいとリクエストし、モズクなんかもNZで食べられないので酢の物でいただきました。でも、これ、もう3日連続くらい食べてる 「Enough!」(いきいなりワンポイント英語)
もう、おなかいっぱい、もう、君の言い分は聞き飽きた、もう・・・と自分のキャパシティを超えそうに、または超えたと感じたら、一発これを言うと良い一言。「いなふっ!」と。方言で、「もう、いっちゃっか!」

じいちゃん、幸せ者です。仏壇には山ほどのお供えと食事が・・・。島は数えでカウントするので、実際には私は2歳だったと思われますが、仏壇傍の写真でいつも見られている(思い込み)せいか、なじみが深い。仏壇もピッカピカに磨きました。
5年も経つと、いよいよ故郷もそう遠いと感じなくなりますが、こういう奄美ならではの風習(食べ物も含めて)がとても恋しいのです。仕事を3日ほどお休みいただいたのですが、「覚えてもないおじいさんの法事に行くの?」と驚かれました。行くけど・・・それがなにか?(ハケンの品格の春子風に)と休みをもらいました。完全に帰れない時期なら仕方ないけど、ラグビーのワールドカップのお陰で、NZと日本の夏休みが、ほんの数日しか違わないという奇跡が目の前にあるのに、帰らないってじいちゃんに申し訳ない、そう思うのですが。同じ日本人でも、都会育ちの方々が圧倒的に多いので、私の行動は理解されないことも。。。。まあ、もう終わってしまったから!いいとします。
~喜界の旅路2~
毎日毎日、本当によく晴れた日々でした。この小路、小1のときは確か砂利道でした。砂利の中にも大きめの石があり、それを踏み外さないように家まで帰れないと!なんて決まりごとを作っていました。はずしたら。。。もう一回坂の上からやり直し、でも、ちょっと今回はいいか、と自分を甘やかしっぱなしだったり。一度戻ったことはありますが、あほらしくなって、なんのためにやってんだかと子どもながらに自分に呆れたり。そんな小路なんです。この右手に確か、沢田さんというおばあちゃんが住んでいて、時々五右衛門風呂をいただきに母と通いました。風呂上りにヤクルトを飲んだり、なんだかわけがわからない母とおばあちゃんの話につきあったり。壁にかかっている「モナリザ」の絵の切り抜きが日焼けして、とても怖い絵だなあ、美しくともなんともないと顔をゆがめたり。思い出いっぱいです。

じゃ~ん。さつきとめいの家、ほどモダンではないですが、ここに確かに住んでいました。もう24年前だから、もう少し新しかったけど。補助輪なしの自転車の練習をくるくる中央の木の周りを飽きもせずまわったり、玄関口で花火をしたり、夏は暑いので、開けっ放しでなると、朝せなかに緑のカナブンの死体があって泣いたり。居酒屋なみに人が集まっていたので、奥の小さな部屋で寝ていると酔っ払いのおじさんがまぎれこんできたり。「おつりあげるから、タバコ買ってきて」というおいしい商談にのり、使い走りにも出かけ、そのことを今でも話してくださるご夫妻が今回もすごく有難い御もてなしをしてくださいました。思い出いっぱいです。

私のカメラは小さな穴から、こんな映像まで撮ってくれます。風呂場です。傍の五右衛門風呂は使わず、確か、左にバスタブがあり、姉妹3人で喧嘩しながら風呂にはいったことを覚えています。台風のときは蝋燭の明かりで風呂にはいるのですが、怖くてびくびくしていました。そこに、裏手に回った父が脅かすというベタな話もあるのですが、子どもだったのできゃーきゃー言っていました。すぐ下の妹のおしめを裏の水道で洗うのをながめたり、裏には牛が何頭かいて、その匂いがチーズとそっくり(当たり前ですが)で食べられなかったり。何と繊細なわらぶっくぁだったんでしょう。(こども)

巨大なガジュマルです。パワースポット!と街のガイド紙に載っていました。そうか、そうか、と蚊にさされながら大きな幹をさわったり葉の間カラの木漏れ日を眺めたりとしばらくうろうろしました。樹齢千年はとうに越しているのではというくらい太い太い幹です。暑さに負けて、宿泊先に戻りました。ゴマ畑が一面に広がり、白いスズランのような花が咲いていました。その後の台風でダメージを受けたとのこと。。。復活を祈ってやみません。
続く。
とても優秀!間をあけずに更新できました。今日は各地大雪なNZです。私の手もカジカンでパソコンを打つ手がゆっくりめ。
このYouTube見れますか?
さて、今回は、我が家の「食」を祖父の33回忌とともにお届けします。
何度か実家に一緒に帰った旦那は、台いっぱいに食事をのせることにネーミングまでつけています。名づけて「○○子テーブル」(母の名前)。私は若干母と顔のパーツが似ており、母がくれた服を着たり、台所で時間を長く過ごしがち。すると「○○子ファッション・○○子フード」など、必ず母の名前が前につきます。もう、否定はしません。
これは、手作り弁当。盛り付けは姉が。だからちょっと雑。でも上出来です。
これは、父が釣った鯛。であっていると思います。このテーブルは、まだ不十分。これから続続のるよという段階。鯛は表を食べた後、ひっくり返さずに、箸で首と尻尾手前を骨折させて(ちょっと生々しい。。。)にぎ(島の方言で魚の骨)を取り除きます。このジョウズな食べかた、誰も知らなかった!私も誰にならったんだろう?
美味しかったです、非常に。遠くから帰ってきた娘のためにがんばって釣ってくれた父に感謝。でも、私の口に入ったのはすう口ほど。
お寿司!日本のお寿司!本物のお寿司!どこのおすし屋さんだったけ?妹よ。たま寿司?だと思います。美味しさのあまりほっぺがおちました。お正月に帰ったことがなく、島野菜が食べたいとリクエストし、モズクなんかもNZで食べられないので酢の物でいただきました。でも、これ、もう3日連続くらい食べてる
もう、おなかいっぱい、もう、君の言い分は聞き飽きた、もう・・・と自分のキャパシティを超えそうに、または超えたと感じたら、一発これを言うと良い一言。「いなふっ!」と。方言で、「もう、いっちゃっか!」
じいちゃん、幸せ者です。仏壇には山ほどのお供えと食事が・・・。島は数えでカウントするので、実際には私は2歳だったと思われますが、仏壇傍の写真でいつも見られている(思い込み)せいか、なじみが深い。仏壇もピッカピカに磨きました。
5年も経つと、いよいよ故郷もそう遠いと感じなくなりますが、こういう奄美ならではの風習(食べ物も含めて)がとても恋しいのです。仕事を3日ほどお休みいただいたのですが、「覚えてもないおじいさんの法事に行くの?」と驚かれました。行くけど・・・それがなにか?(ハケンの品格の春子風に)と休みをもらいました。完全に帰れない時期なら仕方ないけど、ラグビーのワールドカップのお陰で、NZと日本の夏休みが、ほんの数日しか違わないという奇跡が目の前にあるのに、帰らないってじいちゃんに申し訳ない、そう思うのですが。同じ日本人でも、都会育ちの方々が圧倒的に多いので、私の行動は理解されないことも。。。。まあ、もう終わってしまったから!いいとします。
~喜界の旅路2~
毎日毎日、本当によく晴れた日々でした。この小路、小1のときは確か砂利道でした。砂利の中にも大きめの石があり、それを踏み外さないように家まで帰れないと!なんて決まりごとを作っていました。はずしたら。。。もう一回坂の上からやり直し、でも、ちょっと今回はいいか、と自分を甘やかしっぱなしだったり。一度戻ったことはありますが、あほらしくなって、なんのためにやってんだかと子どもながらに自分に呆れたり。そんな小路なんです。この右手に確か、沢田さんというおばあちゃんが住んでいて、時々五右衛門風呂をいただきに母と通いました。風呂上りにヤクルトを飲んだり、なんだかわけがわからない母とおばあちゃんの話につきあったり。壁にかかっている「モナリザ」の絵の切り抜きが日焼けして、とても怖い絵だなあ、美しくともなんともないと顔をゆがめたり。思い出いっぱいです。
じゃ~ん。さつきとめいの家、ほどモダンではないですが、ここに確かに住んでいました。もう24年前だから、もう少し新しかったけど。補助輪なしの自転車の練習をくるくる中央の木の周りを飽きもせずまわったり、玄関口で花火をしたり、夏は暑いので、開けっ放しでなると、朝せなかに緑のカナブンの死体があって泣いたり。居酒屋なみに人が集まっていたので、奥の小さな部屋で寝ていると酔っ払いのおじさんがまぎれこんできたり。「おつりあげるから、タバコ買ってきて」というおいしい商談にのり、使い走りにも出かけ、そのことを今でも話してくださるご夫妻が今回もすごく有難い御もてなしをしてくださいました。思い出いっぱいです。
私のカメラは小さな穴から、こんな映像まで撮ってくれます。風呂場です。傍の五右衛門風呂は使わず、確か、左にバスタブがあり、姉妹3人で喧嘩しながら風呂にはいったことを覚えています。台風のときは蝋燭の明かりで風呂にはいるのですが、怖くてびくびくしていました。そこに、裏手に回った父が脅かすというベタな話もあるのですが、子どもだったのできゃーきゃー言っていました。すぐ下の妹のおしめを裏の水道で洗うのをながめたり、裏には牛が何頭かいて、その匂いがチーズとそっくり(当たり前ですが)で食べられなかったり。何と繊細なわらぶっくぁだったんでしょう。(こども)
巨大なガジュマルです。パワースポット!と街のガイド紙に載っていました。そうか、そうか、と蚊にさされながら大きな幹をさわったり葉の間カラの木漏れ日を眺めたりとしばらくうろうろしました。樹齢千年はとうに越しているのではというくらい太い太い幹です。暑さに負けて、宿泊先に戻りました。ゴマ畑が一面に広がり、白いスズランのような花が咲いていました。その後の台風でダメージを受けたとのこと。。。復活を祈ってやみません。
続く。
2011年08月14日
結婚記念日 In NZ
こんばんは。冬嵐のニュージーランドからです。ご無沙汰です。本当に。気を取り直して、日常を。
8月11日は結婚4周年の記念日。
義理の両親からメッセージカードが。「もう4年も過ぎたなんて信じられる?特別な日を楽しく過ごしてね。」と。泣ける・・・ううう。

何か日本食をと、「Teppanyaki」(鉄板焼き)屋さんに行きました。その名も「Bowz」。AsahiビールとPlum Sake
(梅酒・・・!?)目の前に鉄板があって、そこで焼いていました。私たちが注文したのは、「お刺身の盛り合わせ・枝豆・サーロインステーキ・チキンのステーキ・お味噌汁とご飯」です。
味噌汁が地味なようで、なんとも素敵。写真におさめるのをわすれるくらい。なんと、鉄板で焼いたサーモンとえびとホタテが入っているのです。最初焼いているとき旦那が「これはぼくたちのためかな??」と楽しみにしていたら、お隣のテーブルに行ったので、「そうだよね、いくらなんでも豪華すぎるよね」と軽くがっかりしていたら・・・こちらにも同じ品が!ゆっくり味わいました。野菜はズッキーニとトマトとじゃがいもと決まっていました。

チキンの上にかかっているのは、錦糸卵を揚げたもので、なんとも斬新な一品。どこの野山を駆け回っていたのかイメージできる(妄想とも言う)ニワトリさん。やわらかくって、ほっぺたが落ちそうでした。
カウンター客は私たちだけ。焼き職人さんはまじめな顔で真剣に肉に向かっていましたが、旦那が日本人うけしやすいつたない日本語で質問を始めました。
旦「ニホンハ ドコニ スンデイマスカ」(出身はどこか)
女性「大阪です(#^.^#)」
旦「ジャア ジョークガ ジョウズデスネ」
女性「ははは!そんなことないですよ!」
私「大阪の人は、普通の会話でも最後ボケないといけないってきいたことありますよ。」
女性「ところでお二人はどこでしりあったんですか。」
旦「ワタシハ【子ども○○○】トイウ ガッコウデ センセイデシタ。11カゲツ カラ15サイマデ セイト イマシタ」
私「私は生徒だったんです。」
女性「えええ!!!??」
旦「(ツッコミ)($・・)/~~~」
私「うそですよ~。ボケとツッコミしてみましたが、こんな感じでいいですかね!?」
全員「わははっはははっはは!」
私以外の久しぶりの日本人の方と会話して絶好調の旦那でした。

ふ~。自宅に帰って、ケーキを食べながら、結婚式のDVDを見て、大笑いしました。今更ながら、ほんとうに恥ずかしい自分の行動にびっくりしたり、NZで父のハーモニカ伴奏にのせて「島育ち」を踊っちゃったり歌っちゃったりしたのも懐かしい思い出です。「輪内音頭」も姉妹で踊ればよかったかしら(爆笑)まだ踊れます。
☆ 奄美紀行 ☆

7月14日~30日まで日本に帰国していました。旦那さんはおいてけぼりで。友だちと温泉に行ったり新築の家を突撃訪問したり、新幹線さくらやJR九州を堪能したり。好き勝手な旅でした。奄美にも帰りました。最後の日に7歳まで過ごした喜界島に。たしか百之台から写したものです。感動のあまりに俳句が一句おりてきました。
青絨毯 入道雲らが 列を成す
ラピュタの巨人じゃないですが、もくもくっとした入道雲さんらは、「でぃ、ビールんきゃもらいにいこでぃ」とかなんとか、○○商店に向かっているのやら、いないのやら。
ああ・・・夏の話をしているのに、外はまた大雨です。しんしんと冷える足元がばしゃやま村の白い砂の熱さを思い出しています。
続く・・・・・
8月11日は結婚4周年の記念日。
義理の両親からメッセージカードが。「もう4年も過ぎたなんて信じられる?特別な日を楽しく過ごしてね。」と。泣ける・・・ううう。
何か日本食をと、「Teppanyaki」(鉄板焼き)屋さんに行きました。その名も「Bowz」。AsahiビールとPlum Sake
(梅酒・・・!?)目の前に鉄板があって、そこで焼いていました。私たちが注文したのは、「お刺身の盛り合わせ・枝豆・サーロインステーキ・チキンのステーキ・お味噌汁とご飯」です。
味噌汁が地味なようで、なんとも素敵。写真におさめるのをわすれるくらい。なんと、鉄板で焼いたサーモンとえびとホタテが入っているのです。最初焼いているとき旦那が「これはぼくたちのためかな??」と楽しみにしていたら、お隣のテーブルに行ったので、「そうだよね、いくらなんでも豪華すぎるよね」と軽くがっかりしていたら・・・こちらにも同じ品が!ゆっくり味わいました。野菜はズッキーニとトマトとじゃがいもと決まっていました。
チキンの上にかかっているのは、錦糸卵を揚げたもので、なんとも斬新な一品。どこの野山を駆け回っていたのかイメージできる(妄想とも言う)ニワトリさん。やわらかくって、ほっぺたが落ちそうでした。
カウンター客は私たちだけ。焼き職人さんはまじめな顔で真剣に肉に向かっていましたが、旦那が日本人うけしやすいつたない日本語で質問を始めました。
旦「ニホンハ ドコニ スンデイマスカ」(出身はどこか)
女性「大阪です(#^.^#)」
旦「ジャア ジョークガ ジョウズデスネ」
女性「ははは!そんなことないですよ!」
私「大阪の人は、普通の会話でも最後ボケないといけないってきいたことありますよ。」
女性「ところでお二人はどこでしりあったんですか。」
旦「ワタシハ【子ども○○○】トイウ ガッコウデ センセイデシタ。11カゲツ カラ15サイマデ セイト イマシタ」
私「私は生徒だったんです。」
女性「えええ!!!??」
旦「(ツッコミ)($・・)/~~~」
私「うそですよ~。ボケとツッコミしてみましたが、こんな感じでいいですかね!?」
全員「わははっはははっはは!」
私以外の久しぶりの日本人の方と会話して絶好調の旦那でした。
ふ~。自宅に帰って、ケーキを食べながら、結婚式のDVDを見て、大笑いしました。今更ながら、ほんとうに恥ずかしい自分の行動にびっくりしたり、NZで父のハーモニカ伴奏にのせて「島育ち」を踊っちゃったり歌っちゃったりしたのも懐かしい思い出です。「輪内音頭」も姉妹で踊ればよかったかしら(爆笑)まだ踊れます。
☆ 奄美紀行 ☆
7月14日~30日まで日本に帰国していました。旦那さんはおいてけぼりで。友だちと温泉に行ったり新築の家を突撃訪問したり、新幹線さくらやJR九州を堪能したり。好き勝手な旅でした。奄美にも帰りました。最後の日に7歳まで過ごした喜界島に。たしか百之台から写したものです。感動のあまりに俳句が一句おりてきました。
青絨毯 入道雲らが 列を成す
ラピュタの巨人じゃないですが、もくもくっとした入道雲さんらは、「でぃ、ビールんきゃもらいにいこでぃ」とかなんとか、○○商店に向かっているのやら、いないのやら。
ああ・・・夏の話をしているのに、外はまた大雨です。しんしんと冷える足元がばしゃやま村の白い砂の熱さを思い出しています。
続く・・・・・