2011年08月14日
結婚記念日 In NZ
こんばんは。冬嵐のニュージーランドからです。ご無沙汰です。本当に。気を取り直して、日常を。
8月11日は結婚4周年の記念日。
義理の両親からメッセージカードが。「もう4年も過ぎたなんて信じられる?特別な日を楽しく過ごしてね。」と。泣ける・・・ううう。

何か日本食をと、「Teppanyaki」(鉄板焼き)屋さんに行きました。その名も「Bowz」。AsahiビールとPlum Sake
(梅酒・・・!?)目の前に鉄板があって、そこで焼いていました。私たちが注文したのは、「お刺身の盛り合わせ・枝豆・サーロインステーキ・チキンのステーキ・お味噌汁とご飯」です。
味噌汁が地味なようで、なんとも素敵。写真におさめるのをわすれるくらい。なんと、鉄板で焼いたサーモンとえびとホタテが入っているのです。最初焼いているとき旦那が「これはぼくたちのためかな??」と楽しみにしていたら、お隣のテーブルに行ったので、「そうだよね、いくらなんでも豪華すぎるよね」と軽くがっかりしていたら・・・こちらにも同じ品が!ゆっくり味わいました。野菜はズッキーニとトマトとじゃがいもと決まっていました。

チキンの上にかかっているのは、錦糸卵を揚げたもので、なんとも斬新な一品。どこの野山を駆け回っていたのかイメージできる(妄想とも言う)ニワトリさん。やわらかくって、ほっぺたが落ちそうでした。
カウンター客は私たちだけ。焼き職人さんはまじめな顔で真剣に肉に向かっていましたが、旦那が日本人うけしやすいつたない日本語で質問を始めました。
旦「ニホンハ ドコニ スンデイマスカ」(出身はどこか)
女性「大阪です(#^.^#)」
旦「ジャア ジョークガ ジョウズデスネ」
女性「ははは!そんなことないですよ!」
私「大阪の人は、普通の会話でも最後ボケないといけないってきいたことありますよ。」
女性「ところでお二人はどこでしりあったんですか。」
旦「ワタシハ【子ども○○○】トイウ ガッコウデ センセイデシタ。11カゲツ カラ15サイマデ セイト イマシタ」
私「私は生徒だったんです。」
女性「えええ!!!??」
旦「(ツッコミ)($・・)/~~~」
私「うそですよ~。ボケとツッコミしてみましたが、こんな感じでいいですかね!?」
全員「わははっはははっはは!」
私以外の久しぶりの日本人の方と会話して絶好調の旦那でした。

ふ~。自宅に帰って、ケーキを食べながら、結婚式のDVDを見て、大笑いしました。今更ながら、ほんとうに恥ずかしい自分の行動にびっくりしたり、NZで父のハーモニカ伴奏にのせて「島育ち」を踊っちゃったり歌っちゃったりしたのも懐かしい思い出です。「輪内音頭」も姉妹で踊ればよかったかしら(爆笑)まだ踊れます。
☆ 奄美紀行 ☆

7月14日~30日まで日本に帰国していました。旦那さんはおいてけぼりで。友だちと温泉に行ったり新築の家を突撃訪問したり、新幹線さくらやJR九州を堪能したり。好き勝手な旅でした。奄美にも帰りました。最後の日に7歳まで過ごした喜界島に。たしか百之台から写したものです。感動のあまりに俳句が一句おりてきました。
青絨毯 入道雲らが 列を成す
ラピュタの巨人じゃないですが、もくもくっとした入道雲さんらは、「でぃ、ビールんきゃもらいにいこでぃ」とかなんとか、○○商店に向かっているのやら、いないのやら。
ああ・・・夏の話をしているのに、外はまた大雨です。しんしんと冷える足元がばしゃやま村の白い砂の熱さを思い出しています。
続く・・・・・
8月11日は結婚4周年の記念日。
義理の両親からメッセージカードが。「もう4年も過ぎたなんて信じられる?特別な日を楽しく過ごしてね。」と。泣ける・・・ううう。
何か日本食をと、「Teppanyaki」(鉄板焼き)屋さんに行きました。その名も「Bowz」。AsahiビールとPlum Sake
(梅酒・・・!?)目の前に鉄板があって、そこで焼いていました。私たちが注文したのは、「お刺身の盛り合わせ・枝豆・サーロインステーキ・チキンのステーキ・お味噌汁とご飯」です。
味噌汁が地味なようで、なんとも素敵。写真におさめるのをわすれるくらい。なんと、鉄板で焼いたサーモンとえびとホタテが入っているのです。最初焼いているとき旦那が「これはぼくたちのためかな??」と楽しみにしていたら、お隣のテーブルに行ったので、「そうだよね、いくらなんでも豪華すぎるよね」と軽くがっかりしていたら・・・こちらにも同じ品が!ゆっくり味わいました。野菜はズッキーニとトマトとじゃがいもと決まっていました。
チキンの上にかかっているのは、錦糸卵を揚げたもので、なんとも斬新な一品。どこの野山を駆け回っていたのかイメージできる(妄想とも言う)ニワトリさん。やわらかくって、ほっぺたが落ちそうでした。
カウンター客は私たちだけ。焼き職人さんはまじめな顔で真剣に肉に向かっていましたが、旦那が日本人うけしやすいつたない日本語で質問を始めました。
旦「ニホンハ ドコニ スンデイマスカ」(出身はどこか)
女性「大阪です(#^.^#)」
旦「ジャア ジョークガ ジョウズデスネ」
女性「ははは!そんなことないですよ!」
私「大阪の人は、普通の会話でも最後ボケないといけないってきいたことありますよ。」
女性「ところでお二人はどこでしりあったんですか。」
旦「ワタシハ【子ども○○○】トイウ ガッコウデ センセイデシタ。11カゲツ カラ15サイマデ セイト イマシタ」
私「私は生徒だったんです。」
女性「えええ!!!??」
旦「(ツッコミ)($・・)/~~~」
私「うそですよ~。ボケとツッコミしてみましたが、こんな感じでいいですかね!?」
全員「わははっはははっはは!」
私以外の久しぶりの日本人の方と会話して絶好調の旦那でした。
ふ~。自宅に帰って、ケーキを食べながら、結婚式のDVDを見て、大笑いしました。今更ながら、ほんとうに恥ずかしい自分の行動にびっくりしたり、NZで父のハーモニカ伴奏にのせて「島育ち」を踊っちゃったり歌っちゃったりしたのも懐かしい思い出です。「輪内音頭」も姉妹で踊ればよかったかしら(爆笑)まだ踊れます。
☆ 奄美紀行 ☆
7月14日~30日まで日本に帰国していました。旦那さんはおいてけぼりで。友だちと温泉に行ったり新築の家を突撃訪問したり、新幹線さくらやJR九州を堪能したり。好き勝手な旅でした。奄美にも帰りました。最後の日に7歳まで過ごした喜界島に。たしか百之台から写したものです。感動のあまりに俳句が一句おりてきました。
青絨毯 入道雲らが 列を成す
ラピュタの巨人じゃないですが、もくもくっとした入道雲さんらは、「でぃ、ビールんきゃもらいにいこでぃ」とかなんとか、○○商店に向かっているのやら、いないのやら。
ああ・・・夏の話をしているのに、外はまた大雨です。しんしんと冷える足元がばしゃやま村の白い砂の熱さを思い出しています。
続く・・・・・