2016年03月31日
祝!奈良智辯学園優勝
今朝は赤紫の瑞雲が空の裾を彩っていました。勝利の予感は朝からありました。

伯母さんの孫の納大地君、今日は勝負の日。NZで毎日新聞のウェブページを通して初戦から応援していました。今日は大学が遅くまであったので、主人に応援してもらいました。途中、結果が、気になって車を傍に停車し携帯電話をチェックすると'They won!'と! もう、ハンドルバンバン叩いて嬉し泣きでございました。
どう'won!'だったのかは後でハイライト映像で楽しむとして、とにかく実家に電話しました。「はあげえ…最後まで気が抜けんかったよー」延長11回で手に汗握る試合だった事がわかります。奄美新聞社から父に取材があったようで、その記事の写真を送ってもらいました。
(奄美新聞より)

大ちゃんの伯父にあたる従兄弟にもお祝いメッセージを送って、甥っ子ながら自分たちを楽しませてくれてありがたいね、と返ってきました。
思えば、従兄弟たちは代表校発表のときも大阪桐蔭や龍谷大平安など強豪ぞろいの近畿勢の中に入れるかという心配も少ししていました。奈良の五條にサーターアンダギーとお土産持って行ったときも、伯母さんはまずは一回戦突破やなと控え目な期待。勝つ保証は最初からあるわけではないのですね。でも、大ちゃんは電話口では「頑張ります!」と明るかったのを覚えいます。
センバツ始まっても大ちゃんは二試合無得点。怪我で本調子出なかったみたいで、私の心配は選手交代にならなければいいけど…ということが一番でした。
何が優勝につながったのでしょう。選手や監督の言葉から、「支えの意識」を強く感じました。支えてくれる、その人たちのために。期待に答えたい。仲間のミスをカバーしたい。監督のために。先に打ってくれた人に続けるように自分も打ちたい。ピンチは何回もあったのに、その前向きかつ連帯感の思いで切り抜けたように感じます。
「わらぶんさきと
むんつくりぬさきは
分からん」奄美の方言にありますね。子どもと物作りの先は分からない。子どものころの大ちゃんから、甲子園での活躍は誰も予想さえしなかったと思うのです。だだ、先にが分からなくても能力を伸ばし人や環境に恵まれながら自分を成長させていたことははっきり分かります。
勝因はエースの安定したピッチング、打力のある選手などあるでしょう。加えて、ピンチを切り抜けられると信じること、仲間や人を思うこと等、礼儀正しいこと等、野球を通じて選手一人一人が身に付けていることなど厚く強固な土台が勝利の女神をほほ笑ませたのでは、と思います。
本当に気持ち的に若返らせてもらいました。さて、もらった元気をビタミンに明日からも張り切ってまいります!
応援してくださった皆様、ありがとうございました!
追伸 9年前、NZの家族と奈良の従兄弟家族皆で写した写真。オレンジの服が大ちゃん。人懐こい大ちゃんはハローハロー言って笑わせてくれました。


伯母さんの孫の納大地君、今日は勝負の日。NZで毎日新聞のウェブページを通して初戦から応援していました。今日は大学が遅くまであったので、主人に応援してもらいました。途中、結果が、気になって車を傍に停車し携帯電話をチェックすると'They won!'と! もう、ハンドルバンバン叩いて嬉し泣きでございました。
どう'won!'だったのかは後でハイライト映像で楽しむとして、とにかく実家に電話しました。「はあげえ…最後まで気が抜けんかったよー」延長11回で手に汗握る試合だった事がわかります。奄美新聞社から父に取材があったようで、その記事の写真を送ってもらいました。
(奄美新聞より)

大ちゃんの伯父にあたる従兄弟にもお祝いメッセージを送って、甥っ子ながら自分たちを楽しませてくれてありがたいね、と返ってきました。
思えば、従兄弟たちは代表校発表のときも大阪桐蔭や龍谷大平安など強豪ぞろいの近畿勢の中に入れるかという心配も少ししていました。奈良の五條にサーターアンダギーとお土産持って行ったときも、伯母さんはまずは一回戦突破やなと控え目な期待。勝つ保証は最初からあるわけではないのですね。でも、大ちゃんは電話口では「頑張ります!」と明るかったのを覚えいます。
センバツ始まっても大ちゃんは二試合無得点。怪我で本調子出なかったみたいで、私の心配は選手交代にならなければいいけど…ということが一番でした。
何が優勝につながったのでしょう。選手や監督の言葉から、「支えの意識」を強く感じました。支えてくれる、その人たちのために。期待に答えたい。仲間のミスをカバーしたい。監督のために。先に打ってくれた人に続けるように自分も打ちたい。ピンチは何回もあったのに、その前向きかつ連帯感の思いで切り抜けたように感じます。
「わらぶんさきと
むんつくりぬさきは
分からん」奄美の方言にありますね。子どもと物作りの先は分からない。子どものころの大ちゃんから、甲子園での活躍は誰も予想さえしなかったと思うのです。だだ、先にが分からなくても能力を伸ばし人や環境に恵まれながら自分を成長させていたことははっきり分かります。
勝因はエースの安定したピッチング、打力のある選手などあるでしょう。加えて、ピンチを切り抜けられると信じること、仲間や人を思うこと等、礼儀正しいこと等、野球を通じて選手一人一人が身に付けていることなど厚く強固な土台が勝利の女神をほほ笑ませたのでは、と思います。
本当に気持ち的に若返らせてもらいました。さて、もらった元気をビタミンに明日からも張り切ってまいります!
応援してくださった皆様、ありがとうございました!
追伸 9年前、NZの家族と奈良の従兄弟家族皆で写した写真。オレンジの服が大ちゃん。人懐こい大ちゃんはハローハロー言って笑わせてくれました。

2016年03月20日
甲子園の季節!

よねやうがみんしょうらん。春の甲子園が始まりましたね。いつもこの季節には大島高校の初出場の感動が蘇り胸が熱くなりますよね。
今日は従兄弟の長男、納大地くんが奈良の智弁学園の副キャプテンで出場しているので、応援のお願いに上がりました!
住用のじいちゃんと浦上のばあちゃんの孫でございます。奄美三世の球児ですよ。私の両親は甲子園球場で開会式からそのまま第一試合を観戦しました。本当に心底うらやましいです。一回戦は見事完封勝利をおさめ、早速従兄弟から連絡が来ました。私はネット中継が見られない場所にいましたが、ニュース速報ですかさずチェック!
先月上旬、出場校発表の瞬間をネット中継で固唾を飲んで見守っていました。諸用で奈良にいた私は、奄美のサーターアンダギーとNZのカレンダーを手土産に伯母や従兄弟と智弁学園を訪ねました。ただ、家族でも練習中は会えないということで、離れたところから見るのみでした。寒空の中の練習からは熱気が伝わってきました。
↓我らが大ちゃんの紹介が毎日新聞にありました。
http://mainichi.jp/koshien/articles/20160218/ddl/k29/050/632000c
どうやらこのサイトでネット中継が観られるようです!次の試合は・・・!??25日、第二試合目、なんと、鹿児島実業と対戦!
ああ・・・なんということか。どちらを応援したらよいのか。非常に悩みますが、25日はイースターホリデーで国民の休日。しっかりパソコンの前にスタンバイして、両校の活躍を平等に応援します!
☆今日のコタロー
わたくし、大学生活まっしぐら中。宿題がドッサリ。コタロー、手伝って。
猫の手も借りたい…

キーボード使いたいんですが、ていうか、なぜそこで寝込む?

練習するから、どいて。壁?じゃないのよ…

猫の手は…借りられない、いや、貸す気はさらさらない、ようです。(°_°)

2015年10月10日
糸

サマータイムが始まり日本との時差が4時間になりました。花のつぼみが一斉に開き、日中は上着がいらない日も増えました。
今日は、義父グレアムとの時間を書き留めておきたくなり、どこまでも主観的に文字を綴ります。ご了承ください…。
あと2週間で70歳を迎えるはずだったグレアム。病との闘いを全うし義母ジュディに手を握られながら春の陽気に誘われるように旅立ちました。
医師が正式に病名を告げたのが最期から一週間前。治療法もない難病。痛みはないものの、脳から無意識に神経に伝達される運動のせいで体力を消耗します。よく眠れるための薬以外は摂らず、部屋を訪ねる家族や親戚と過ごし自然に近い形で段々とその時を迎えたように思います。
半日ごとに容態が変わる中、変わらず渾身的にお世話して下さった看護師の皆さん。「ヘリコプターで一緒に空飛んだよね。途中降りてお茶したかったけどね」と義父にジョークを言い、返事がわりに眉毛を上下に動かした義父。検査のためクライストチャーチに同行してくださいました。
残りの時間を大切にして欲しいと誠実に全てを説明してくれたスーザン先生。この病気の患者さんは過去に一人のみ。スイス、イギリス、アメリカ、オーストラリア…世界の医師に協力を求めてくださいました。それでもなお「時に自分の仕事が辛くなるわ。」と本音を語り不甲斐なさを漏らす姿が忘れられません。話せるうちに要望を、と尋ねた先生にグレアムが「Donate!(臓器提供)」と言います。すかさずジュディが「No!Too pickle!(だめよ、あなたの臓器はとても漬物っぽいんだから!)」この状況で大爆笑。夫婦漫才で先生を笑わせて、なだめたかったのかも…。
何年経っても初めての経験は不意にやってくるもので、嫁の私はどう力になったらよいのか悩みました。
「このダメ嫁!」と実家から喝が飛んで来そうですが、主人の実家では何から何まで手厚い義母のお世話になりっぱなし。出迎えられた朝はベーコン&エッグに温かいパンと紅茶が用意され、ランチはカフェ、ディナーはローストと温野菜。何か忙しくしていると気が紛れるジュディの仕事を、善かれと思い奪うことはできないのです。洗濯後アイロンがピシーっとかかった服が寝室に…。ありがとう、ありがとう。何度も言いました。九官鳥の方がまだうまく言えるんじゃないか、と気の利いた言葉を探します。
何かできることを探した結果、食後の片付け、バスルームの掃除を日課にすることに成功。そして、いよいよ病室に泊まりたいという義母の言葉にアイデアが湧きました。夕飯を作りに一旦帰り、食器も持参して皆でディナータイム。主人もヤル気まんまんでカルボナーラにガーリックブレッドを作った日は数人の看護師さんがタッパー持ってきていいか尋ねるほど。
昼間はサンサンと陽が入る眺めの良い部屋でピクニックランチを提案。サンドイッチとクッキーが看病疲れを癒してくれたようで喜んでくれました。
(個人的にはお茶と味噌、黒砂糖、カシャムチ…パパイヤの漬物を持って行きたいところです)
そして、旅立ちの朝。いつだってウインクや笑顔を見せた顔はまだ温かく、冗談ばかり言っていた口は今にも喋り出しそうでした。
7週間の入院生活後に待っていたのは、「ライフ セレブレーション」と称するお葬式の準備でした。
色々な打ち合わせは、家族を失った直後にさらに辛く重い気分になります。担当のカールさんは、流れのみを丁寧に説明してくださいました。翌日以降セレブラント(式執行者)のレイチェルさんが来てグレアムの生い立ちや人柄など尋ねました。そこでジュディが思わぬ提案を…。「あなたのサックス、グレアム好きだったのよ。演奏してくれる?」涙で潤んだ目でお願いされてNOと言えるはずがありません。仕事少なき嫁の勤め。即OKいたしました。レイチェルさんも「友達の友達が持っているから、借りてきますよ」と。式は2日後。楽譜は妹の結婚式の選曲をしようと偶々いくつか持ってきていました。その中から『You raise me up』を選びました。ヤマハでもセルマーでもない銘柄の楽器、台湾製ジュピターは初対面ながら頑張ってくれました。http://youtu.be/k7d-iAClGvY
葬儀当日。友人親戚80人程集まり、深草色の紳士的な棺にユリのブーケを前にグレアムの生前を振り返り、スピーチをしたり、歌を歌ったりと式は進みました。棺にフリージアを手向け別れを告げたその感極まった後、最大の試練がやってくるではありませんか。私が演奏するのは出棺で見送りの時だったのです。感情的になって演奏が駄目になっては台無しです。鉄の心臓、Cool as cucambar(キュウリのようにクールに)…先ほどまでの悲しみを一旦置いて、集中いたしました。
気がつくと会場には私1人。主人が呼びに来て霊柩車の出発に際し家族と一緒に見送ることができました。
出席できなかった方々や日本の家族のために映像を配信するサービスもあり、3ヶ月観られるそうです。テクノロジーにも感謝。
結婚49周年だったグレアムとジュディ。1人置いて後ろ髪を強く引かれる思いでオークランドに戻りました。ご近所さんやお友達がよく遊びにきているよ、と明るい声に少しほっとしました。
若かりし日の2人…

持っていった楽譜に中島みゆきの「糸」がありました。日本ではちゃんと聴いたことがなかったのですが、歌詞をじっくり読むとじんわり染み入ります。
「 …逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます」
NZに来て右も左も分からない私を実の娘が出来たようだと歓迎してくれた主人の両親。結婚や病気や別れ全てが仕合わせで、家族になっていくのだなあ…と縁の神秘さを感じました。http://youtu.be/yri8k4P0hNI
研ぎ澄まされた時間を過ごした後は、しばらくセンチメンタリズム。このあたりで、筆を置きます。
どうか、縁ある人との時間を温かくすごしてください…。
☆今日のコタロー

あなたも家族よ…聞いてるかい?テレビに夢中な年頃です。